SPECIAL
スペシャル
女の子たちが艦艇に乗り組んで活躍する『ハイスクール・フリート』。ミケちゃんこと岬明乃艦長のもとで、幾多の危機を乗り越えてきたが、現実の海上自衛隊にも女性艦長が実在することをご存じだろうか。
今年2月、大谷三穂2等海佐が護衛艦「やまぎり」(あさぎり型護衛艦2番艦、基準排水量3500トン)の艦長に就任、海上自衛隊初めての女性護衛艦艦長として注目を集めた。言うなればミケちゃんの大先輩?とも言える大谷2佐に、海を守る女性の心構えを聞いてきたぞ!
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護衛艦「やまぎり」艦長席に座る大谷三穂2等海佐。
防衛大学校の女性第1期(1992年入学、防衛大学校第40期)でもあり、まさに海上自衛隊における女性自衛官のさきがけとも言える方だ。 -
――艦長に就任し、どのような心境でしょうか?
大谷 2月に「やまぎり」艦長に着任しましたが、「やまぎり」の前には練習艦の艦長に就いていましたので、艦長としての責務は変わるところは無いと考えています。
もちろん、女性として初めての護衛艦艦長ということで、責任の重さも感じています。私が何か失敗をすれば、「女性はやはりダメだった」と評価されてしまう恐れがありますし、そうなっては後に続いてくる後輩の女性自衛官たちに申し訳ないですからね。 -
――女性が護衛艦に乗るということに苦労はありましたか?
大谷 私が自衛官として任官したころは、女性が船に乗るのが珍しい時代でした。ですから「女性のくせに」とか「女性で大丈夫か」と、周囲から思われたり言われたりすることは確かにありました。
でも、現在では多くの女性自衛官が船に乗っていますし、この「やまぎり」にも10名程度が乗り組んでいます。女性が船に乗って十何年と経ち、女性の存在が当たり前になってきたと思います。 -
――大谷2佐は防衛大学校の女性第1期生だと伺いました。なぜ、防衛大学校に入ろうと考えたのですか?
大谷 もともと一般大学に在籍していました。そのころは自由な時間も多く、楽しい…と言いますか生ぬるい生活をしていたんですが、ある時たまたまテレビをつけたら湾岸戦争のニュースをやっていたんです。そのニュースを見たとき、自分が楽しい大学生活を送っている一方で、テレビの向こう側――つまり、世界では戦争をしているということに大きなショックを受けました。
本当にこんなことをやっていていいのか、と自分の生活を振り返り、生ぬるい生活を変えたいと強く思うようになったんです。ちょうど防衛大学校が女子学生を受け入れるという新聞記事を目にして、「これだ!」と思い、自衛官という職業を志したんです。 -
――防衛大学校での生活はどうでしたか?
大谷 防衛大学校での生活については、入学前にあれこれと考えていたんです。最初の女子学生だからこそ厳しくするのか、それとも、女性だから甘く見てくれるのではないか……と。でも、入ってみれば先輩方は女子学生を同期の男性と変わらず指導してくれました。女性だからという点は、ほとんど考慮されていませんでしたね。
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――もともと航空自衛隊を希望されていたそうですが、なぜ海上自衛隊に?
大谷 防衛大学校では2年生のときに、陸・海・空の要員区分が行われます。私は目が良かったので、パイロットになりたいと思い航空自衛隊を希望しましたが、海上にもパイロットがいると教えられ、海上自衛隊を選んだんです。
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――いつから艦長を目指すようになったのですか?
大谷 船での実習がとても楽しかったこと、そして、その時に乗った実習艦の艦長に憧れたことが理由でした。とても穏やかな艦長で、自分もこんな艦長になりたいと強く感じたんです。それから艦艇を希望するようになりました。
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――艦艇乗員ともなれば長期の航海も多いと思います。女性として苦労されたことはありますか?
大谷 私には娘がいるのですが、船に乗ると娘と離れる時間がとても長くなってしまいます。夫も海上自衛官なので娘は親に預けて航海に出るのですが、風邪をひいたとか、病気で寝込んでいるという連絡を受けても、すぐに駆けつけることができません。母親として娘に寄り添うことができず、とても辛かったですね。私は航海に出ていることが多いですから、娘はいつの間にはオムツがとれ、いつの間にか話せるようになっていたような気がします。一番かわいいときに一緒に過ごせなかったことは、本当に残念ですね。
でも、娘も私が艦長を目指しているということ応援してくれていましたので、私が艦長になったときには「夢がかなったね、おめでとう!」と一緒に喜んでくれました。
練習艦の副長として遠洋航海に出るときのことだったと思います。半年間日本を離れることになり、当時9歳くらいだった娘は悲しんだのですが、「副長の配置を経験しないと、艦長にはなれないの」と伝えたら、納得して見送ってくれたことを覚えています。 -
――艦長として、どのようなことが大変ですか?
大谷 気が休まることがありませんね。艦長は何かあったとき、すぐに艦に戻らなければいけません。ですから、普段からあまり遠くに行けませんし、生活の行動範囲も制限されています。私は歯医者さんに行ったときも、突然の連絡に備えて携帯電話を握りしめて治療を受けています(笑)。落ち着く余裕がありません。
多くの方が、艦長の任務を終わったときホッとすると言われますが、よくわかります。 -
――好きな言葉や座右の銘はありますか?
大谷 座右の銘のようなものは無いのですが、「一源三流」という言葉を指導方針として挙げています。これは1つの源(心)から “国のために血を流す、家族のために汗を流す、同僚のために涙を流す”という 3つの流れが生まれるという言葉です。
語弊があるのですが、国のために死んで欲しいと言いたいわけではありません。任務を果たすにあたって、バランスのある働きをしなさいという意味で使っています。つまり、家族も大事にして、国防も勤めを果たし、同僚も大切にしなければいけない――ということです。 -
――『ハイスクール・フリート』をご覧になったと伺いましたが、いかがでしたか?
大谷 これをきっかけに海上自衛隊に興味を持ってくれる若い人が増えたらいいな、と思いました。なかなか海上自衛隊の艦艇を見る機会は少ないですし、海上自衛隊が何をするのか知らない人も多いと思います。そういう方が興味を持つ、きっかけになってくれたら良いですよね。
海上自衛隊としては、女性自衛官も増やしていきたいと考えているのですが、女性に自衛隊で勤務したいと思わせるのは非常に難しいですよね。アニメで女性たちが船に乗っている場面を見て、興味を持ってもらえたら嬉しいですね。 -
――ありがとうございました。
女の子たちが艦艇に乗り組んで活躍する『ハイスクール・フリート』。ミケちゃんこと岬明乃艦長のもとで、幾多の危機を乗り越えてきたが、現実の海上自衛隊にも女性艦長が実在することをご存じだろうか。
今年2月、大谷三穂2等海佐が護衛艦「やまぎり」(あさぎり型護衛艦2番艦、基準排水量3500トン)の艦長に就任、海上自衛隊初めての女性護衛艦艦長として注目を集めた。言うなればミケちゃんの大先輩?とも言える大谷2佐に、海を守る女性の心構えを聞いてきたぞ!
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護衛艦「やまぎり」艦長席に座る大谷三穂2等海佐。
防衛大学校の女性第1期(1992年入学、防衛大学校第40期)でもあり、まさに海上自衛隊における女性自衛官のさきがけとも言える方だ。 -
――艦長に就任し、どのような心境でしょうか?
大谷 2月に「やまぎり」艦長に着任しましたが、「やまぎり」の前には練習艦の艦長に就いていましたので、艦長としての責務は変わるところは無いと考えています。
もちろん、女性として初めての護衛艦艦長ということで、責任の重さも感じています。私が何か失敗をすれば、「女性はやはりダメだった」と評価されてしまう恐れがありますし、そうなっては後に続いてくる後輩の女性自衛官たちに申し訳ないですからね。 -
――女性が護衛艦に乗るということに苦労はありましたか?
大谷 私が自衛官として任官したころは、女性が船に乗るのが珍しい時代でした。ですから「女性のくせに」とか「女性で大丈夫か」と、周囲から思われたり言われたりすることは確かにありました。
でも、現在では多くの女性自衛官が船に乗っていますし、この「やまぎり」にも10名程度が乗り組んでいます。女性が船に乗って十何年と経ち、女性の存在が当たり前になってきたと思います。 -
――大谷2佐は防衛大学校の女性第1期生だと伺いました。なぜ、防衛大学校に入ろうと考えたのですか?
大谷 もともと一般大学に在籍していました。そのころは自由な時間も多く、楽しい…と言いますか生ぬるい生活をしていたんですが、ある時たまたまテレビをつけたら湾岸戦争のニュースをやっていたんです。そのニュースを見たとき、自分が楽しい大学生活を送っている一方で、テレビの向こう側――つまり、世界では戦争をしているということに大きなショックを受けました。
本当にこんなことをやっていていいのか、と自分の生活を振り返り、生ぬるい生活を変えたいと強く思うようになったんです。ちょうど防衛大学校が女子学生を受け入れるという新聞記事を目にして、「これだ!」と思い、自衛官という職業を志したんです。 -
――防衛大学校での生活はどうでしたか?
大谷 防衛大学校での生活については、入学前にあれこれと考えていたんです。最初の女子学生だからこそ厳しくするのか、それとも、女性だから甘く見てくれるのではないか……と。でも、入ってみれば先輩方は女子学生を同期の男性と変わらず指導してくれました。女性だからという点は、ほとんど考慮されていませんでしたね。
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――もともと航空自衛隊を希望されていたそうですが、なぜ海上自衛隊に?
大谷 防衛大学校では2年生のときに、陸・海・空の要員区分が行われます。私は目が良かったので、パイロットになりたいと思い航空自衛隊を希望しましたが、海上にもパイロットがいると教えられ、海上自衛隊を選んだんです。
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――いつから艦長を目指すようになったのですか?
大谷 船での実習がとても楽しかったこと、そして、その時に乗った実習艦の艦長に憧れたことが理由でした。とても穏やかな艦長で、自分もこんな艦長になりたいと強く感じたんです。それから艦艇を希望するようになりました。
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――艦艇乗員ともなれば長期の航海も多いと思います。女性として苦労されたことはありますか?
大谷 私には娘がいるのですが、船に乗ると娘と離れる時間がとても長くなってしまいます。夫も海上自衛官なので娘は親に預けて航海に出るのですが、風邪をひいたとか、病気で寝込んでいるという連絡を受けても、すぐに駆けつけることができません。母親として娘に寄り添うことができず、とても辛かったですね。私は航海に出ていることが多いですから、娘はいつの間にはオムツがとれ、いつの間にか話せるようになっていたような気がします。一番かわいいときに一緒に過ごせなかったことは、本当に残念ですね。
でも、娘も私が艦長を目指しているということ応援してくれていましたので、私が艦長になったときには「夢がかなったね、おめでとう!」と一緒に喜んでくれました。
練習艦の副長として遠洋航海に出るときのことだったと思います。半年間日本を離れることになり、当時9歳くらいだった娘は悲しんだのですが、「副長の配置を経験しないと、艦長にはなれないの」と伝えたら、納得して見送ってくれたことを覚えています。 -
――艦長として、どのようなことが大変ですか?
大谷 気が休まることがありませんね。艦長は何かあったとき、すぐに艦に戻らなければいけません。ですから、普段からあまり遠くに行けませんし、生活の行動範囲も制限されています。私は歯医者さんに行ったときも、突然の連絡に備えて携帯電話を握りしめて治療を受けています(笑)。落ち着く余裕がありません。
多くの方が、艦長の任務を終わったときホッとすると言われますが、よくわかります。 -
――好きな言葉や座右の銘はありますか?
大谷 座右の銘のようなものは無いのですが、「一源三流」という言葉を指導方針として挙げています。これは1つの源(心)から “国のために血を流す、家族のために汗を流す、同僚のために涙を流す”という 3つの流れが生まれるという言葉です。
語弊があるのですが、国のために死んで欲しいと言いたいわけではありません。任務を果たすにあたって、バランスのある働きをしなさいという意味で使っています。つまり、家族も大事にして、国防も勤めを果たし、同僚も大切にしなければいけない――ということです。 -
――『ハイスクール・フリート』をご覧になったと伺いましたが、いかがでしたか?
大谷 これをきっかけに海上自衛隊に興味を持ってくれる若い人が増えたらいいな、と思いました。なかなか海上自衛隊の艦艇を見る機会は少ないですし、海上自衛隊が何をするのか知らない人も多いと思います。そういう方が興味を持つ、きっかけになってくれたら良いですよね。
海上自衛隊としては、女性自衛官も増やしていきたいと考えているのですが、女性に自衛隊で勤務したいと思わせるのは非常に難しいですよね。アニメで女性たちが船に乗っている場面を見て、興味を持ってもらえたら嬉しいですね。 -
――ありがとうございました。